この瞬間を逃さない、この瞬間を撮り続ける。

はじめてカメラに触れたのは、小学生に通っていたころ。まだ「写ルンです」という使い捨てカメラが流行っていたので、気軽に購入して撮っていました。いや、別に上手くなかったですよ。本当に普通です。

写真だけに留まらず映像作品も手掛け
全世界を駆け巡る新進気鋭の金魚写真アーティスト

スクエアシンク・インターナショナル株式会社代表 岩崎潤

プロフィール

どうも、いわさきです。

今回は無料講座の受講ありがとうございます。

講座内でも簡単に自己紹介をしましたが、このページではもう少し詳しくご紹介できればと思います。

「なぜ私がマーケティングを写真家/経営者さんに教えることをやっているのか?」

など私の想いや考えに共感してくださる部分が少しでもあれば、きっとあなたにこの講座が役に立てるとはずだと思ったからからです。

ほとんどの写真家や写真をビジネスしている人が勘違いしている事は、「キレイな写真」であれば売上が上がるとか、「高価な機材」なら選ばれるようになると勘違いしていると思います。

確かにキレイな写真、高価な機材ではあるべきだと思います。

ただ、キレイな写真、高価な機材よりも先に学ぶべきものがあるという事です。

それが、あなたの情報を写真や画像で表現する事に特化したマーケティング。
これが「写真マーケティング」です。

写真教室のコンセプト

基本的に、人を動かす本質的マーケティングを身につけ「お金」「時間」「心・体の自由」の自由な選択肢を増やす。そして「理想の写真と理想の人生」を自分の力で作る。

わかりにくいかもしれませんが、要するに「売上アップの為に自分の力でできるようになる」というのがコンセプトとしています。

その結果「コイツとはまったく合わねーな!」って思われる可能性だって、もちろんあるわけですが、まあそれはそれで(笑)

自己開示は好きな方でもないので、少し恥ずかしい感じはするのですが、お付き合いいただけたらうれしいです。

少し長いですが、物語風に書いていますので、すんなり読んでいただけるかと思います。

今後の生き方を決定していた幼少期〜高校時代

私は東京都中央区で生まれ、いわゆる江戸っ子です。中央区は、銀座、築地、月島もんじゃで有名ですよね。

実家は金魚屋を経営していて、貧乏でもお金持ちでもなく、ごくごく一般的な普通の商人の家庭で育ちました。

ただ、家の歴史は古く、江戸時代の頃から店主となる人間が好きな商売をするというのが、我が家の家系の伝統です。

初代は米蔵(三河屋)から始まり、蔵前という地名の始まりともされているそうです。その後は反物屋、アクセサリー(鼈甲の髪飾り)、小鳥・熱帯魚・金魚という流れで現在は私で5代目です。

私のひいお爺さん、岩崎清一郎が浅草寺の五重塔を支援したり、谷中の明王院檀家、総武線の浅草橋駅を誘致したとも言われていますが、書面も記録も残っていませんので、本当かどうか不明です。

五重塔の中の柱には名前が彫ってあるのを小さい頃、見た記憶がありますが

よく考えると、うちの実家も自営業ですし、親戚も私が知る限り誰も会社員がいません。

私は有名になりたいとか金持ちになりたいとかそういう願望もないですし「将来は経営者になる!」なんてことは、この頃はまったく考えていませんでした。

でも、この環境が「自分で選択をして縛られない生き方もある」ということが無意識に植え付けられていたのかもしれません。

子供の頃は成績もいたって平凡でしたが、中学だけは友達と成績の順位を競うの楽しくて勉強が楽しい時期があって、その頃は勉強しまくってました。中学1年生で生徒会副会長をやったのも良い経験のひとつですね。

そのおかげもあって高校は進学校に入ります。

でも、もともと頭が良いわけでもなくムリに頑張って入った高校なので、ここで一気に落ちこぼれました。

周りは本当に頭の良い人ばかりで、私はどんなに頑張っても成績が上がらずモチベーション激下がり。全国平均の偏差値も50以下になってました。

楽しい学校生活と地獄の就職活動

高校卒業後、すぐに働きたいと思いましたが、まずは勉強をしろという父の助言から、専門学校へ進学しました。

同級生は国公立に行く人が多かったですけど、落ちこぼれになっていた私は、そんな偏差値の高い学校には入れないので専門学校です。

私が通っていた学校は別名「写真の学校」と言われていた学校です。もともと、番組のディレクターになりたかったというのもあって、写真だけではなくて、映像編集(ノンリニア編集)を勉強しました。

学校生活もいわゆる一般的な学生のイメージ通り、勉強は赤点や留年にはならないようにそこそこやる。そんな生活でした。

私の場合は映像に熱中していました。なので、300枚の写真パラパラ映像(コマ撮り)を制作したのをきっかけに、写真に興味が沸き始めてきた時でもあります。ひとりで映像を制作した、すごく貴重な学生生活を送ることができました。

卒業制作が終わると、地獄の就職活動です。

私の時代は、超就職氷河期。

30社受けて1社も受からないのが当たり前の時代です。

前髪が眉毛にかかってた時点でもう絶対に採用されません。

中学生かよっていう。

今の就活生みたいに細身のスーツもNGの時代です。

いやぁほんと、おぞましかった・・・

私は映像系の学科だったので、映像関連の会社を選ぶのが普通です。

でも、映像系って何日も徹夜が続きますよね。

実際、学生時代の同級生はみんなテレビとか制作会社に就職して、全然帰れないなんていう愚痴をよく聞きました。

「自分の時間を他人に決められるなんて意味不明」

そう思っていた私は、徹夜がほとんどない写真系会社ばかり面接を受けていました。

とうぜん就職活動は苦戦し、学校の就職課に呼びだされます。

就職課の職員と、研究室の教授に囲まれての面談です。

(職員・先生)「どういう会社を受けているの?」

(私)「写真系です」

(職員・先生)「なんで?」

(私)「徹夜が嫌だからですね」

(職員・先生)「そんなんで選んでいるから決まらないんだよ!」

これには、驚きました。

もちろん学校側も本当に心から親身になって言ってくれたのかも知れません。

でも価値観は人それぞれ絶対に違うはずです。

私が「助けてください」とお願いしたならともかく、一方的に呼び出しておいて価値観を押し付けられるのは本当に理解できませんでした。

「私の人生なんで私の基準で決めます」

そう言ったら先生にさらに怒られました。

一歩間違えたら厨二病ですね。(今でも同じことを言うと思いますが)

とはいえ、たしかに当時は今ほど気軽に起業できる時代じゃなかったので、就職先が決まらないのは特殊でリスキーです。だから学校側の言い分も理解はできます。

この時にすごく強く実感しました。

「自分で生きていく力がない=人生の選択肢の制限」

なんだなと。

同時にすごく恐怖も感じました。

就職、そして個人事業へ

色々ありましたが、何とか写真系会社に就職が決まります。

就職といっても、社員ではなくて、広告写真の師匠のアシスタントです。

アシスタント生活もいい経験ができました。一番長いんじゃないかな?

師匠の前を通れば、蹴られるし、怒鳴られる。

香ばしい昭和な香りがする師匠です。

別に蹴られようと、殴られようとなんとも思わない精神力のおかげで、逆にかなり鍛えられたと思います。今でも師匠には感謝しています。足を向けて寝れないですね。

そこで、師弟関係の厳しさと、社会の厳しさを同時に学ぶことができた貴重な体験です。

ただ、大きな不満はないものの、先のことを考えるとかなり恐怖でした。

「これを本当に何十年も続けたいのか・・・?」

「10年後に他のことをしたくなったらどうするんだ?」

就職活動の時のことが何回も頭によぎり、なんとなくヤバそうな雰囲気を感じつつも、明確な答えがないまま会社に通っていました。

そうやって過ごしていたある日、思いもよらない出来事が起きます。

師匠の会社の副社長からの電話でした。

「なんだろう、なんか別件かな?」と思って電話を取ったんですが、その内容は私が予測していたものとまったく違うものでした。

「今、社長亡くなった・・・」

驚きました。仕事の話だと思っていたので。

「え!?」 節句して何も言えなくなります。

夜中の電話ではありましたが、師匠のビジネスパートナーや兄弟子にも連絡、クライアントにも連絡。

師匠は家族がいなかったので、私がひと通り連絡をしました。

自分の両親も健在だったので、全て初めてのことで何もわからないまま、師匠のお姉さんの言うとおりにしたままです。私は、葬儀が終わった後、誰もいない棺の横で泣きながら、怒鳴りました。

「ふざけるな!昨日電話したじゃないか!まだまだ教えてもらうことはたくさんあるんだ!起きろ!」

今でも思い出すだけで、泣けてきます。

葬儀が終わり、事務所に戻ると日常に戻されて整理をしなくてはいけません。

もちろん私は社員ではなく、師匠の直弟子だったので、事実上のクビです。

これからどうしよう。精神的にもピーク状態に陥ります。

師匠の整理整頓をしてる時も、片付けよりも今後の人生が真っ暗。誰かにすがることもできません。写真を撮っても、反省することもできません。涙で前もよく見えません。

(副社長)「事務所にある師匠のカメラひとつ持っていくか?」
(私)「はい。いただきます。」

この会話は今でも鮮明に覚えています。

師匠の形見のカメラを眺めながら、今後どうするかを真剣に考えます。

「よし、起業するか」

師匠の命日の翌日が、私の個人事業主のスタートとなりました。この時26歳です。

極貧生活のスタート

整理整頓しながら、空いてる日は個人事業主の申請をして、開業の手続きをしました。

人生の選択肢を強制的に絞られないためにも、自分の力で生きていけるようにしたかったからです。

力を持たないことは、ものすごいリスクだと感じたんです。

「個人事業主はリスクが高すぎる」だなんて散々言われましたけど、私からすると、やりたくもない仕事をしていく方がリスクでした。

その時点ではまだ「何を撮りたいのか?」「何をするべきなのか?」「何が正解なのか?」はわかりません。

とりあえず、失敗しまくっても良いから、色々なことをやって、色々なことを学んで、色々な世界を見て経験してから決めよう、と。

この時に経験した仕事の一つが人物撮影。

まだネットが普及していなかったので、新聞を読んでいたら「人物撮影ならカメラ一つで自由に開業!」って書いてあったので、すぐに新聞の掲示板に投稿。(ありがちですね)

生活費のために飲食店で月300時間くらいバイトもしていたので、週末だけ撮影をする状態でしたけど。何とか撮影することはできました。

とにかくこの頃は超絶ビンボーです。週7勤務で手取りは13万円。

交通費も出なかったので、節約のために徒歩で毎日往復2時間半かけて自宅から恵比寿に通っていました。

自宅から恵比寿に行く道で駒沢通りというのがあるんですが、この道はちょっと裏道に入ると真っ暗なんです。車だってビュンビュン通ります。

ヘトヘトだろうが雨の日だろうが歩きながら「これ、いつか倒れるな・・・」っていつも思いながら通勤してました。

それを見かねた飲食店のオーナーが「引っ越し代を貸すから引っ越してきなよ」と言ってくれたので恵比寿に引っ越すことにしました。

そして毎月2万円を返済していたので、手取りは11万円に減りました(笑)

東京は家賃が高いです。もちろん住んだ家は超オンボロです。
間取りは4畳半で建物が歪んでいて、窓を開くことすらできません。

入口も草木が生い茂っていて、友達からつけられた名前は「暗闇の館」

自由に遊ぶお金もありません。

食事に関しては、これは恵まれていました。飲食店という事もありますが、私の好きな恵比寿ラーメンに出会ってからは毎日通い、サービスでデザートがもらえるまで仲良くなりました。これは、本当に感動しました。(もう今は閉店してしまっています)

オーナーがお客さんを紹介してくれて通常の仕事後にアルバイトとして撮影をしに行ったこともありました。某有名劇場の楽屋で(笑)

その後も数年かけて、いろいろな仕事をしたり勉強をしてきました。

お金がないので、唯一の休みの日曜日は古本屋で100円の本と缶コーヒーを買って公園で一日中読書をして過ごしたりしていました。

と、まあこういう話だけするとなかなか悲惨な生活のようですが・・・ 自分の意思で選んだ選択だし、そんなに苦痛とは感じていませんでした。

まあ今思うと二度とやりたくはないですが。

ようやくたどりついた答え

こんな生活を数年過ごしていくうちに、自分の中で「ある結論」が見えてきました。

それはこういう考えです。

やりたいことは変わるかも知れない。

やりたいことでも環境が苦しければ嫌いになるかもしれない。

やりたいことでも生活ができなければ続けられないかもしれない。

であれば・・・仕事の成果や働き方を自由にコントロールする力を身につけるのが最強なんじゃないか?

これが私の結論でした。

つまり「マーケティング」です。これが私の人生を決めました。

ここでやっと「キレイな写真」ではなく「売れる写真」のコンセプトが決まります。

マーケティングで変わった人生

こうしてマーケティングを独学で勉強しはじめます。

2007年頃のことですね。

当時はまだコンサルタントや広告代理店ですらSEOなんて言葉を知っている人がほとんどいない時代でした。今みたいに無料情報なんてほとんどないのでお金を払って勉強するしかありません。

この頃もビンボーでしたけど、なんとかお金を貯めて何万円もする教材を買ったり専門家に教えてもらって勉強してました。

マーケティングの力は間違いなく人生の大きな資産になると確信していると思っていたからです。

だから節約もしたし、貯金や遊びよりも、勉強への投資を優先しました。

その後、ある通信会社で働くことになります。

都内1店舗経営の通信事業(携帯電話屋さん)です。(全国では30店舗なので割と大きい方かも)

この時も生活は楽じゃありません。

アルバイト契約だったので税金を引いたら月の収入は20万円を切ります。

貯金もぜんぜんありません。

でも私にとっては最高の環境でした。

社長がマーケティングマニアでしたから、当時の日本で販売されていたマーケティング教材はほとんど事務所にあったからです。

海外からの情報も仕入れまくっていました。(日本のマーケティングはアメリカよりも10年遅れていると言われています)

みんな、いつも23時くらいまで残って情報交換や勉強しあったりもしていました。

スタッフの女の子は毎日ヤニク・シルバー(アメリカの有名マーケッター)の音声を聞きながら通勤してましたね(笑)

そして、スタッフが少ないので、自分で積極的に学び自分で実践するしかありません。

特に私の場合はそうでした。

というのも、私だけなんのスキルも知識も実績もほとんどなかったからです。

優秀なスタッフ3人 + 落ちこぼれの私

という関係です。

なのでとにかく必死でした。最初はほとんどが雑用です。

依頼された仕事を全力で速攻で終わらせ「次の仕事ないですか?」っていつも聞いてました。

そのおかげもあって(皆が良い人だったからのも大きいですが)、1ヶ月後くらいには私にもどんどんと重要な仕事を回されるようになります。

  • とにかく営業、セールスマーケティング
  • 一日30枚のチラシ、POP、プライスカードを作る
  • 店舗のホームページのSEOをする(全国30店舗全部)
  • 3ヶ月後には営業講師をする
  • パートさんを30人も1人で管理する
  • 知識0なのに1人でネットショップを立ち上げる
  • 入社して半年後には毎月2,000万円以上のリスティング広告を運用する
  • Google マップへの画像更新や情報更新(今で言うMEO)

単に店舗で営業をするだけでなく、バリバリのプレイヤーとして自分で実際にマーケティングを実践してきたので、大変でしたけどすごい勢いで成長できました。

今もこれはすごく大きな資産になっているので本当に感謝です。

確信したマーケティングの力

最初は「マーケティングを勉強した方が良いんじゃないか?」って程度の推測だったんですけど、段々とそれが確信になってきます。

マーケティングの力はエグくて会社も短期間で急成長をしました。

私が入った時は事務所は古いビルの2階だったんですけど(面接のテーブルはダンボール)その後は3年で2回もオフィス移転しました。

社員も8人でしたが1年後には社員30名以上。アルバイトやパートさんを含めれば80〜100人いました。

私たち初期メンバーもこの頃には管理職を任され一気に後輩や部下も増えました。

私も当時は2万部のメルマガ執筆や営業講師、ビジネスマナー講師などもしていたので、他社のセミナーや勉強会などに行くと「岩崎さんですか?」と声をかけられることも多くなってきました。(私はこの状況はすごく嫌だったんですが)

今ではこの会社は全国でグループ会社が複数あって、通信業界ではそれなりに有名な会社にまで成長しています。

たった10年ほど前にダンボールで面接をされた会社とは思えませんね(笑)

でも、そんな短期間で一気に成長するくらいマーケティングのパワーはすごかったです。

クライアントさんたちも、うちの会社がサポートをすることで数ヶ月で売上が数十倍になるなんてことも特に珍しくありませんでした。

マーケティングの力は本当にえげつなかったですね。

こういうことを体感していくうちに

「色々と回り道をしてきたけどマーケティングを学ぶというのは間違った選択じゃなかったんだ。ビンボー時代を耐えたことが報われた」

そんな気がしました。

1年目の時点ではまだ契約上はアルバイトで収入は低かったですし、貯金もあまりありません。

それでも将来への不安は一切なくなりました。

お金が必要になったら何とか稼げばいいし、何か違うしたいことが見つかればそれをやればいい。

マーケティングで「人生の選択肢を増やせる力」が付いていくにつれ、自由度の幅も広がり不安がどんどんとなくなっていきました。

そして法人化

そして、アルバイトをやめました。

安定は保証されていましたし、社長や仲間とも仲は良かったです。

自分で言うのもなんですが、この頃はかなり信頼してもらえていたので自由にもやらせてもらえていました。

だから決定的な不満があったわけではありません。

でも管理職よりももっと現場でやりたいという想いもありましたし、自分で自由にやりたくなったんですね。

そこで作った営業コンサルティング会社があります。今期で8期目です。

もちろんまったく苦労がなかったわけじゃないですし、失敗も色々としてきています。

実は起業1年目にあるハプニングがあり、一度売上がほぼ0になったことがあります。

でも、マーケティングを身につけているおかげで、不安はほとんどありませんでした。

「まあどうにかなるか」というくらいの感覚。そして実際どうにでもなりました。

そしてマーケティング力があることによってビジネスの幅が広がり、これまででは考えられなかった色々な経験をすることができています。

有名マーケティング会社主催のコンサルタント養成講座の講師を依頼されたり・・・集客と広告についての講義

アートイベント金魚文化を守るためのプロジェクトをしたり

ユニクロの看板広告制作

情報番組のプロデューサーさんが担当したテレビショッピングのマーケティングを担当したり

番組で紹介する商材の説明動画を撮影

不動産会社の情報リサーチをしたりと、

また以前だったら絶対になかっただろう方たちとの出会いや経験もたくさんありました。ファッションカメラマンのジゲンさんに招待いただいて参加した勉強会もすごかった。

私の格好がデニムだったので入口でSPに止められました(笑 平凡を好む自分には合わない世界だと実感。パリコレの仕事に誘われてパリに訪れた時。なぜか日本語ペラペラクライアントさんの周年記念パーティー。パーティーの雰囲気が苦手なので早々に退散させていただきましたが(笑

仕事だけでなく人生トータルで楽しく生きることを目標としていますから、遊ぶことも犠牲にしません。

もともと自然が好きなので、海や山には毎週のように行っています。
今は子供がいるので、公園ですが、

親に毎年プレゼントをしたり、旅行に連れて行ったり、美味しいものを食べさせたり仕送りもできるようになりました。

今、母親は一人で暮らしていますが、仕事に疲れていたので定年で辞めさせることもできました。

でも、まだ働き足りないようで自宅で有名ブランドの洋裁の仕事をしています。

父親は相変わらず金魚屋なので、週2回は手伝いに行ったりしています。足腰が悪いので、3日に1回しか営業していません。我が家はみんな働き者です。

これは、自己満足かもしれませんけど、少しでも恩返しをできるようになったのは良かったと感じています。

ただ本音を言えば、私が稼いだお金を親に使うのではなく

ただいずれにしろ、今の自分があるのは本当にマーケティングのおかげです。

私はマーケティングを身につけることによって人生が激変しました。

ビジネスもプライベートも自分が望む自由な選択ができるようになったからです。

写真家を支援をする理由

私は色々な業種のクライアントさんがいますが、その中でも特に写真家支援に力を注いでいるのには理由があります。

一番の大きな理由は

自分の価値や魅力をお客さんに伝えられず、売上に困るだけでなくビジネスが苦痛になっている人が多い

ということです。

写真家は本来はコモデティビジネスではないはずです。

コモデティとは「どこで買っても同じ」という意味。

写真家はコモデティではなく、それぞれの技術、考え方、想い、情熱、個性があるはずです。

ところが世の中のほとんどの写真家は価値や魅力をお客さんに伝えられていません。

もちろん撮影をすれば伝えられますが、依頼する前にはわかりません。

だから割引や値下げに頼らなくてはいけなくなります。

激安を目当てにきたお客さんは「激安だから来た」お客さんです。写真の価値や魅力をわかってきたお客さんではありません。

当然、リピート率も単価も最初から低いことも確定です。

本当に自分を必要としてくれているわけでもないし、利益にもならない。これではやりがいを持てなくなるのも当然です。

最安が正義で良いのだろうか?

「どこにでもいる単に人物を撮ってくれる人」
「どこにでもいる単に料理を撮ってくれる人」
「どこにでもいる単に動物を撮ってくれる人」
「どこにでもいる単に建物を撮ってくれる人」

こうやって、ひとくくりでコモディティにされたくはないと思います。

これは私も同じです。

私がなぜこれほどメッセージを伝えることを大事にしているかというと、他のサービスやコンサルタントの方と同じに見られ、単に「売上を上げる人」とコモディティにされたくないからです。

あなたもきっとそうであるように、私にも

私には私にしかできないこと
私には私の想いや理念

これがあります。

「売上を上げてくれる人なんですね。じゃあお願いします」

というだけの認識の人のお手伝いはしたくないのです。

それはお互いが本当の意味で必要にしているわけではなく、必ずそこのズレが不幸になるからです。

コモディティの世界では「最安が正義」です。

どこでも同じだからです。

これが起きているのがまさに写真家です。

でも本来は写真家ほど技術提供者とお客さんの関係が深く「どこでも同じ」とは思ってもらいたくない業界はないはずです。

だけど現実はほとんどのお客さんにコモディティだと思われています。

だから料金を下げて対抗しないといけないし、自分が求められているわけじゃない虚しさに耐えないといけません。

私はもともと広告カメラマンをしていました。今の仕事はコンサルタントです。そして実家は金魚屋です。

どれも「絶対にコモディティとは思われたくない」ビジネス。

だから、こういう苦しみやもどかしさがすごくわかるんですね。

せっかくやりがいや自由を求めてした起業のはず。でも自由な時間もお金もなく心も身体もヘトヘト。

そして好きだった仕事がつらくなってくる・・・

そんな写真家/経営者さんをたくさん見てきました。

「写真を撮らない写真教室」を作った想い

私はマーケティングのおかげで人生が変わりました。

撮りたいものはいつでも仲間たちと撮りにいけます。山に行っても、海に行ってもみんな好き勝手に好きなものを撮っていますが、みんな笑顔です。

だから写真家/経営者さんたちにもこの力を手に入れてもらいたく写真教室を作りました。

もちろん、元々写真を撮る写真教室をやっていました。でも、写真を撮るのは、誰でもできるようになれるけど、ビジネスも教えてもらわないと誰でもできるようにはなれないんです。

「お金」「時間」「心・体の自由」の自由な選択肢を増やす。

そして「理想の写真と理想の人生」の自分の力で作る。

これが写真を撮らない写真教室です。

そして写真を撮らない写真教室では多くの写真家さんたちが「理想の写真と理想の人生」を手に入れてくれています。

月商19万円→240万円以上に!「仕事もプライベートも毎日が全体的に充実しています!」

1人の人物写真家→6年連続で最高売上記録の更新でトップクラスの規模と売上になりました「週3日に休みを増やして好きな旅行たくさん行けるようになりました」

月商3万円→140万円以上に!「おにぎり一つ買うのも財布を気にしていましたが、岩崎さんの指導で世界が変わりました!」

起業5年でスタジオ3店舗。TVなどで取り上げられる有名スタジオに。「ホームページからの来店が増え今はお断りしてしまうことも増えました!」

「売上、利用者数とも、開業以来最高となりました。」

「新規集客のための広告費を一切かけていません。おかげで先が不安で途方にくれていた私が前向きに仕事できてます!」

一人あたり1,000円以下の費用で全盛期の3倍の新規客数で土日は予約をお断りする状態に。「岩崎さんは皆さんに自信を持ってオススメできます!」

30人ほどの問い合わせがあり半分以上の予約を断るまでに。「岩崎さんの仕事には、とても誠意を感じます!」

きれいごとに聞こえるかも知れませんが、今でも私にとっての一番の報酬は生徒さんたちからの自由を手に入れたという報告です。

京都のクライアントさんに「明日〇〇さん(別のクライアントさん)と会うんですけど飲みきませんか?」と誘われて二つ返事で京都まで新幹線で飲みに行った時。往復新幹線代+ホテル代を考えるとめちゃ高い飲み会ですけど、その何倍もの楽しさがありました。

私があなたに願うこと

写真を撮らない写真教室では動画や音声で20時間以上、PDFで200ページ以上の講義を配布しています。今でも増やしてます。

この講座は写真を撮らない写真教室で提供していることの重要部分を厳選したものです。

できるだけ限られた時間の中で大事なことを伝えられるように、実は何度も何度もスライドを作り直しているし、撮影し直しているし、編集し直しています。

それだけ、真剣にお伝えしたいことです。

そして、あなたに知っていただきたいことであり、身につけていただきたいことであり、手に入れていただきたい力です。

もちろんこの限られた時間だけで細かいすべてをお伝えすることは不可能なんですが、ベースとなる大事な部分は可能な限りお伝えしているので、ぜひ何度も見直していただけたらうれしいです。

それでは長い時間、読んでくださりありがとうございました!

写真マーケティング実践会

日本ではまだあまりビジュアルマーケティングが普及していない2006年からSEO(検索エンジン対策)・リスティング広告(PPC広告)・LPO(ホームページ対策)・コピーライティングなど、あらゆるマーケティング施策を海外を含め最先端技術を取り入れ研究・実践。

ビジュアルアートイベント会社の広告担当として、1年で来場者100万人以上、3年で海外展開ににまで成長。年商も20倍以上にすることに貢献。

その後、広告写真を制作よりも自身が現場でクライアントと接するプレイヤーでありたいという想いから独立し、2016年に従業員数50名の営業コンサルティング会社株式会社KNOCKIT、2018年にアート作品海外展開、ウェブマーケティング、ビジュアルマーケティングのスクエアシンク・インターナショナル株式会社を立ち上げました。

現在は上場企業から月商数万円の個人事業主まで幅広くマーケティング支援を行い、月商2〜20倍以上を達成しているクライアント多数。毎月数千万円の広告運用をするなど、現在も自身が最前線プレイヤーとして活動をしております。番組制作では、ビジュアル支援を行いながら、視聴率維持、オンラインショップ支援などを行っています。

撮影経歴

1975年 東京生まれ、1997年 東京ビジュアルアーツ専門学校卒業後、有限会社ピアーズ代表の勝田敏照氏を師事、7年間のアシスタントを経て2004年 個人事務所設立。広告写真を得意とする。

株式会社開通(貿易、貴石アクセサリーデザイン、製造、販売)
株式会社KNOCKIT(営業コンサルティング、イベント管理運営、飲食店)
スクエアシンクインターナショナル株式会社(各種撮影業、教育事業)
イワサキ商店(創業60年金魚屋、小売業)

2005年〜2020年 公益社団法人 日展 、ヨドバシカメラ マルチメディア吉祥寺、アポロ理容美容専門学校、東京国際映画祭/文化庁映画週間、ホンダ技研工業、ボウリング革命 P☆LEAGUE、白金LEMAN、FENCEOFDEFENSE、株式会社榎本明雅堂 織物襖紙、ベースボールマガジン社 ボウリングマガジン、クエルボ・イ・ソブリノス、Rado Watch Co. Ltd.,、しゃぶしゃぶ すき焼き おんのじ、日本橋架橋100周年記念特別展アートアクアリウム展 ~江戸・金魚の涼~&ナイトアクアリウムミュージックラウンジ、SKY AQUARIUM IV、ダンロップ タイヤ、住友ゴム工業 スポーツ専用ロングパイル人工芝 ハイブリッドターフ、アートアクアリウム フォトブック 金魚の粋、DUO東京 フォルクスワーゲン、日本橋高島屋 いけばな池坊550年祭記念特別展 いけばなの根源 池坊展、旭化成せんい株式会社 旭化成せんいキャンペーンモデル、平塚競輪 カレンダー、銀座・地下商店街の映画館「シネパトス」、アートアクアリウム フォトブック 金魚の舞、高輪ヂーゼル株式会社 元気が出る朝礼、東北の美しい未来を考えるフォーラム、公益社団法人 東京ボウリング場協会、アクロスエンターテインメント 瞬間リアライズ、日・EUビジネス・ラウンドテーブル、ユニクロスタイリングシート、通信事業ヘルパー、アドバイザー事業設立、ライオン株式会社 全国小学生歯みがき大会、旭化成建材 ジーファスタイル 商品撮影、日本電気株式会社 NEC未来創造会議、日本電気株式会社 C&Cユーザーフォーラム&iEXPO、INSOU東日本株式会社 ワイン&バービーノワールなど他多数。

運営サイト

■公式ホームページ
https://juniwasaki.com/

■写真家のマーケティング支援メディア「写真マーケティング実践会」

■公式ホームページ スクエアシンク・インスターナショナル株式会社
https://square-thinks.co.jp/